訪看リハビリステーションいまひらでは、訪問看護スタッフを募集しています。
コロナ感染症とともに暮らすことが求められるようになり、地域医療における訪問看護の役割が再認識されています。
訪問看護の現場には、病院のような華やかさはないかもしれません。
でも、ここも「コロナとともに暮らす地域医療の最前線」です。
私たちとともに地域医療の支え手になってくださる方はいませんか?まずはお気軽にお問い合わせください。

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2 Responses

  1. こんにちは。突然コメント失礼します。
    私は現在看護大学の三年生です。訪問看護に興味があります。
    私は実習で療養型病院で、終末期の患者さんを受けもたせていただきました。そこでとても疑問を持ちました。私は小さい頃から医療ドラマが大好きでした。なぜなら、医療で人々が幸せになれると信じて疑わなかったから、自分も医療に携わり人生の転機を一緒に過ごしたいと思ったからです。しかし、実習で患者さんは医療をきちんと受けてるのに、ずっとつまらなさそうにただ天井を眺めて一日を過ごしていました。なぜかわたしにはこの方を最後までここで過ごさせていいのだろうかという疑問を抱き始めました。そのあとも、その疑問を持ちながら介護施設に実習に行きました。そこでは医療はほとんど受けていないが、好きなものを食べ、好きなことをする利用者さんがいました。わたしは医療だけでは人を幸せにはできないと確信しました。その素敵な姿に惹かれ、生活からその方を捉えるようになりたいと思い介護士として、アルバイトをしました。介護士のやることはあまりにも多くて大変でした。しかし、わたしはここでも納得のいかないことがありました。介護士のやっていることは本当に私たちがやるべきことなのかということです。おやつの時間、ご飯の時間と言って決められた時間に起こし、決められたものを食べさせて、動ける人でも危ないからセンサーをつけたり、見守りをしたりと、洗濯物を畳めるのに介護士が畳んだり、家に戻りたいという人に対して不穏だからと言って扉に鍵をかけたり、暴力を振る人には薬を飲ませたりと、なんだ介護も医療とやっていることは同じで、決められたことをするだけで、結局は安全という視点から、人にやってはいけないことをしてしまうんだなと思いました。ひとは、不思議です。小さい頃に人にやられて嫌なことはやってはいけないとあれだけ教わってきたはずなのに、福祉や医療を通して人をみると嫌がることを平気な顔でやってしまいます。治るとわかっているひとなら、今だけ辛抱してと言えますが、終末期やお年寄りのかたはただただかわいそうです。働いてみて悪いことばかりではなかったです。お年寄りの笑った顔が本当に素敵なんです。だからもっと輝いてほしいと思いました。決められたレールに乗せられて死ぬのを待つのではなく、もっと生き生きとその方らしく最後まで過ごしてほしいという思いが強くなりました。また、ステキな介護士さんもいました。今の介護に満足するなと始めに言われました。その時は衝撃的でしたが、だんだんと意味がわかってきました。今の介護は、利用者さんの生活する力を奪っていることです。認知症のかたはたしかに話が噛み合わないことも、自分の状況を理解できずに危険なことも不安になってしまうこともあると思います。しかし、ずっとその方が過ごしてきた力とか技などは体が覚えているので、介護士がそんなにやらなくてもできるはずです。それに、施設にいると何か行動するときにどうしてもやってもらう、やらされるという立場になるので、だんだんやりたいという意思が消えていくはずです。わたしは、医療でも福祉でもたしかにそれぞれは素晴らしいですが、結局はどこかに偏りすぎても幸せには過ごせれないと思いますし、その方も後悔が残ると思います。なのでわたしは一人一人の生活に合わせた臨機対応なことができる家で利用者さんを一人の人として接したいと思います。いまひらさんのちょっとお節介なというフレーズと、自立支援に力入れているというところがわたしのやりたいことあっている気がします。あくまで主体は利用者さんだと思います。それに、医療や福祉を通さずその方もを見ていたらお節介な関わりになるのは当然だと思うからです。
    とても興味がわく施設ですが、コロナで見学に行かれないということと、私は新卒なので経験がないです。もし、そちらで働くことができるとしたら、何年間くらい病棟で経験を積んでおいた方が良いと思いますか。また、もう少し理想について詳しく聞かせていただけると幸いです。

    •  コメントありがとうございます。
       まずは訪問看護に興味を持っていただいてありがとうございます。
       人生の仕舞い際の過ごし方について、藤井さんが感じておられるような矛盾や疑問を感じておられる専門職の方は実は多いのではないかと思っています。
       病院には病院の、施設には施設の、これまで利用者さんが過ごしてきた場所とは違う「集団や組織のルール」というのものがあるので、どうしても融通の利かない部分は出てきてしまいますし、「何かあったらどうするの?」っていう事もあります。
       私(=会社の代表者;何かあったら謝る係。。。)やステーションの管理者(=影のドン??)が病院から出て地域でお仕事をさせていただくこととなった原点も、そのような矛盾や疑問に対して「何かあったら謝るしかないから」所に折り合いがつけられたからです(幸い、今のところそんなに謝らなければならない場面には遭遇していません)。
       訪問看護の舞台は利用者さんの自宅(一部居住系施設を含む)なので当然主役は利用者さんです。病院では私たち医療者がイニシアチブを握っていますが、ご自宅では立場は全く逆転します。「もう来なくていい」と言われたら支援も何もなくなってしまいます。一方で私たちは「専門家」としてお仕事させていただいているので、「なんでも利用者さんの言いなり」というわけにはいきません。言いたいことをおっしゃる利用者さんとのアウェー感満載の中で「どうやってこの人にご自宅で長く暮らしていただくか」を実践していくのがこの仕事の難しさであり醍醐味でもあります。
       「おせっかい」という言葉の中には「利用者さんに必要な援助が医療だけでない」という事だけでなく「利用者さんと仲良くなるための仕掛け」みたいなちょっとずるいところがあるのかもしれません。
       さて、もしうちのステーションで一緒に仕事をしていただくとしたら。。。ですが、じゃあ明日から。ってわけにはいきませんね、学生さんだし。
       まずは看護師の資格を取っていただく必要があります。コロナ禍で実習など大変かと思いますが地道に確実に頑張りましょう。
       次に、訪問看護の現場は病院以上に人手が足りない現状があるので、利用者宅にはひとりで訪問していただくことになります。いきなり看取りに備えた全身管理とかいう事にはなりませんが、一般的な病棟で業務として行う看護技術についてはひとりでこなせるくらいの経験は積んだ方がよいと思います。これがある程度しっかりしていないと「おせっかい」の部分にまで拡げていく余裕ができません。
       そして案外見落としがちなのが「専門職としての伝える能力」。これは利用者さんに対して指導云々とかいうばかりではなくて、支援に関係する他職種とのコミュニケーション能力を差します。外部に対して書類を作ったりする場面が思いのほか多いので、PC操作のようなテクニックも含めて経験積んでおくとよいと思います。
       「医療技術者である看護師」としての資質で必要なのはこれだけ。あとは人間力とかなんとかかんとか言うんですが、これは実は実際にお会いしてみて「ビビッと来るか」みたいなところがあるのでコメントするのが難しいです。利用者さんと関わる中で「家族こんなことしてあげたい」といった事が思い浮かべられて、それを実現するためのアクションをおこせる人、みたいな感じでしょうか。
       合同会社M-project 代表 光田雅人

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